Column131017 of HOLOMIN web 2018


Column 02

茨木のり子の家

 素敵な写真を見つけました。
詩人の茨木のり子さんの本で、「茨木のり子の家」のなかの1ページです。

 50年程前の普通の木造住宅の建築の風景だと思うのですが、
建物のきれいなプロポーションと、上半身はだかでカンナをかける職人と、
足場も含めてほぼ無垢の木材、あとは掘り起こしたと思われる土がその写真には写っています。

 時代に逆行したいとは思いませんが、今の感覚で言うと馬鹿げているかもしれない、本当はすごくまっとうなはずのことを、素材として、そして現場の風景として、ちゃんと追い求める気持ちを忘れてはいけないと思いました。


スキャン.jpeg

時代おくれ

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

 そんなに情報集めてどうするの
 そんなに急いで何をするの
 頭はからっぽのまま

すぐに古びるがらくたは
我が山門に入るを許さず
 (山門だって 木戸しかないのに)
はたから見れば嘲笑の時代おくれ
けれど進んで選びとった時代おくれ
   もっともっと遅れたい

電話ひとつだって
おそるべき文明の利器で
ありがたがっているうちに
盗聴も自由とか
便利なものはたいてい不快な副作用をともなう
川のまんなかに小船を浮かべ
江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも

旧式の黒いダイアルを
ゆっくり廻していると
相手は出ない
むなしく呼び出し音の鳴るあいだ
ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子らの
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯草の匂い

何が起ろうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとに生きているひとびとよ

茨木のり子